お知らせ

若佐慎一展『満ちたあとの曖昧になっていく世界』SHINICHI WAKASA Solo Exhibition After Fullness, the World Begins to Blur を開催いたしました。

若佐慎一展 満ちたあとの曖昧になっていく世界
SHINICHI WAKASA Solo Exhibition After Fullness, the World Begins to Blur
期間| 2026年10月17日(土)~23日(金)時間9:00~17:00
場所|妙心寺塔頭 桂春院[京都府京都市右京区花園寺ノ中町
11]
料金|拝観料1,000円(入場料)
主催| WAKASA WORLD
協賛|株式会社アートブレーンカンパニー @art_brain_company
協力|妙心寺塔頭桂春院,有職菓子御調進所 老松

◾️ステートメント
福を待つだけでなく、自ら掴みにいく。僕の《招き猫様》は、その意志を託した自画像であり、もうひとつの人格だ。願いや迷い、生きる喜びを、挙げた手と愛嬌のある姿に重ねる。清浄・侘・思惟・真如。桂春院には、修行から悟りへ至る過程を表す四つの庭がある。庭と作品のあいだを行き来し、見慣れたものの捉え方が変わる機会にしたい。

招き猫という形には、人々が福を願った時間が重なる。僕にとってそれは、願いや祈り、場の空気や気配を受けとめる依り代でもある。ものに人を超えた存在の気配を感じる日本的なアニミズムを、現代のキャラクターの姿で表したい。

制作の原点には、幼い頃に親しんだアニメや漫画、ゲーム、とりわけ『ビックリマン』がある。ギリシャ神話やキリスト教、日本神話を思わせる存在が、親しみやすいキャラクターとなって同じ物語に登場する。背景を知らずに楽しんでいた僕は、大人になって、異なる宗教や神話を共存させる自由さに気づいた。そこに、八百万の神を受け入れてきた日本の価値観を感じる。

既存の招き猫の図像を繰り返し用い、色、表情、素材、装飾を変える。同じ形から、異なる性格や意味が生まれる。この反復と変奏には、引用や複製を通してオリジナルの価値を問い直す、シミュレーショニズムへの関心もある。広く知られた形に個人的な思いを託す。僕の分身が共有されるアイコンとなり、そこに重なる解釈や願いが僕自身を変えていく。招き猫様をつくり続けることは、自画像を描き直し続けることでもある。

その姿を人と結びつけるのが、「カワイイ」という感覚だ。日本では子どもや動物だけでなく、大人の仕草や古びた道具、恐ろしい妖怪にまで「カワイイ」と言う。年齢や立場、人とものの区別を越えて親しみを見いだす。そこに日本文化の独自性を感じる。

誰かの不器用さや身勝手さに腹を立てても、ふと可愛く見えた瞬間、「しょうがないな」と笑ってしまう。欠点は消えない。それでも、その人を欠点だけで見なくなる。「可愛いは許す」とは、僕にとってそういうことだ。すべてを理解し、賛成できなくても共にいられる。違いによって遠ざける前に親しみが生まれる。その力に可能性を感じている。

単純化された頭と短い手足を持つ、二頭身ほどの招き猫様。福を願う相手なのに、こちらも守りたくなる。頼る側と支える側は、ひとつには定まらない。僕が母性と呼ぶのは、性別や親であることを問わず、目の前の存在を慈しむ気持ちだ。その可愛らしさに、この世ならざるものへの畏れも重ねる。撫でたくなることと、手を合わせたくなることは、僕のなかでは遠くない。

華やかな色彩や過剰な装飾には、日本の「カブク」文化や「ハレ」に通じる祝祭性を込めた。祈りに楽しさや賑やかさがあってもいい。しかし、色や形を重ねるほど、強調したはずの輪郭がかえって曖昧になる。何も消していないのに、個々の形と全体の境目が見えなくなる。形はありながら、見え方は定まらない。この実感を、ひとつの見方にとらわれない姿勢に重ねたい。

招き猫様は、僕の分身であると同時に、見る人が願いを託せる現代の護符でもある。可愛いと感じたその先で、幸運を掴みにいく意志や、生きる喜びに触れてほしい。僕の自画像が、誰かにとっての幸運のかたちになる。その出会いを、ここ桂春院から広げたい。


若佐 慎一